きのくに子どもの村小学校・中学校 インタビュー

全校ミーティング

※生徒・保護者・教員のインタビューは、きのくに子どもの村学園発行の「子どもとともに笑う きのくに子どもの村の二〇年を語る」から引用しています。

子ども(小4)インタビュー

Q. 君にとって、この学び場ってどんな場所?

きのくにのいいところは、おやつがでたりフリーチョイスがあったりするところ。
公立の学校ではできないことをいっぱいできるのがいい。

でも一番たのしいと思うのはプロジェクトだ。
ふつう公立だとみんな大人が決める。でもきのくにでは子どもが決める。だからそれもすごくいいと思う。

私はおもしろ料理店にはいっている。2011年のテーマは豆を使った料理だから、しょうゆやみそ、とうふや旬の豆料理をしている。
プロジェクトがやっぱり一番たのしい。
きのくににきてよかったと思う。

子ども(中3)インタビュー

Q. 君にとって、この学び場ってどんな場所?

学校好きだ。今も昔もこれからも、この気持ちが変わることはないだろう。
私はきのくにで、ほかではできないいろいろな体験をし、だれにも得られないようなものを得たと思う。

なかでも、行動する大切さと楽しさを学べたことがいちばん大きいと思う。(略)
プロジェクトもそうだ。みんなで企画して、内容を考えて、実現していくのが楽しくてしかたない。

そして何より、大人と一緒になって考えられるのがいい。
自分たちで考えて行動するということはとても難しいけれど、すごく大切なことだと思う。
そしてそれができたときの達成感はほかではあじわえないものだと思う。

でも、それができる学校は多くない。きのくにだからこそできることだ。
そして、きのくにには笑いがたえない。楽しいからだ。

公立の学校に通っている人に話を聞くと、一日5,6時間は勉強していて、塾にも通っていると聞いた。
私は別にそれが悪いことだとは思わない。けれど、机にむかって勉強することだけでなく、もっと違う方法でたくさん頭を使うことができると思う。
きのくにはそれができること、それがこんなに楽しいということを証明していると思うのだ。

保護者(お子さん卒業生)インタビュー

Q. なぜこの学び場を選んだのですか?

『自由学校の設計』を読んだとき、こういう学校なら、子どもたちを偏差値とか受験戦争とは無縁のところにいさせてやれる。人生を楽しめる子に育つだろうとも思いました。
あれから11年。きのくにを卒業した息子たちは、親の予想や思惑などとは遠く離れたところで、たくましく成長しています。

小学校のときは、歌や楽器などしたこともなかった長男が、中学を卒業するときには音楽で食べていくと決め、今はスイスのバーゼル音大で、クラシックギターを学んでいます。
次男は、大学に行って、何か学んでいくのかなぁ、と思っていたら、こちらも予想に反して、社会に出て働いています。とにかくまず、一人ぐらしで自活してみたいんだそうです。

(略)ちょっぴり不安もありますが、きのくにの保護者としての10年が、私の頭を柔らかくしてくれました。
必要以上にアタフタせずに見守ることができています。これが一番の「きのくに効果」といえるでしょう。

(略)きのくにと出会って価値観がすっかり変わり、とても楽になりました。
今は、夫とともに息子たちがどんな人生を歩んでいくのか、楽しみにしています。

保護者(お子さん卒業生)インタビュー

Q. なぜこの学び場を選んだのですか?

上の娘が小学校5年生の3学期からお世話になり、もう卒業の学年になりました。
きのくにに入学して、びっくりすることや目からウロコの連続だったように思います。

入学したての頃、私がびっくりしたベスト3はというと、
1.大人がどこにいるのかわからない。
2.大人は、我が子の長所しか話さない。
3.何を相談しても、「大丈夫ですよ!」しか答えが返ってこない。
(略)

続いては、娘の変化にびっくりしたことベスト4です。
1.入学して1週間後、近所の人も感じるくらい、顔つきが生き生きしてきた。
2.1年後、「わたし、もう一人で生きていけるわ!」と宣言した。
3.高校は外へ受験したいといっていたのに、プロジェクトが面白くなり、受験勉強よりプロジェクトが大事!とあっさり内部進学に決めた。
4.小学校より、中学校のほうが面白い。中学校より高専のほうがずーっと自由で面白いといったこと。

入学して1年あまりで、娘は生き生きとし、親の手の中から完全に出ていったなぁ~と実感しました。
(略)
卒業した子どもたちは、何かあればいつでもきのくにに帰っていくようです。きのくにでの自前の成人式も、娘は今から楽しみにしています。

学校法人きのくに子どもの村学園 学園長・堀さんインタビュー

Q. この学び場に込めている思い

両親が教員で、母親が僻地校に勤務しており、よく一緒に遊びに行っていました。
それがきっかけで僻地教育に興味を持ち、大学で研究するうちに、ニイルと出会いました。
デューイ研究の有坂先生や、ニイル研究の島田先生に師事し、ニイルとデューイを研究して修士論文を書きました。
その頃から、学校を作りたいとずっと思っていました。

80年代に、白根開善学校や自由の森など、新しい学校を作る動きが広がりました。
そこで、自分たちも84年に「新しい学校を作る会」を立ち上げました。
白根などが高校中心であるのに対し、高校からでは遅い、もっとはじめからいい学校ができないのかということで、小学校作りを目指しました。
それも、「あるべき姿の普通の学校」として作りたいという想いから、必ず認可を取ろうと決めました。

85年に、サマースクールなどを行う「山の家」を立ち上げ、子どもを集めながらスタッフの力をつけていきました。
しかし、開校は92年になってしまったので、山の家からの子は開校に間に合わなかった子も多かったです。
それでも、間に合った子と新しい子たちで、1~6年生合わせて90人でスタートすることができました。

12年に20周年を迎え、設立当初やりたかったことを実現できていると感じています。
卒業生も、これまで12人が学園の先生になってくれました。
いいマンネリといえる安定感を持ちながら、大胆な試行錯誤も止めずに、普段の実践を深めていきたいと思っています。

子どもたちが、「自分は自立している」「自分は本来の自分である」と思えるようになる学校でありたいです。
そして、自分自身であり続けることができる人間を育んでいきたいと思っています。

教師・関野さんインタビュー

Q. この学び場に込めている思い

小学4年生の時、きのくに子どもの村学園に入学し、高等専修学校までの約9年間を学園で過ごした。
高校時代に受けた堀さんの心理学の授業をきっかけに大学は地元に戻り、保育学部のある学校を選んだ。
この時、まさか4年後に自分がここ(きのくに)に戻ってくるとは想像もしていなかった。

(略)私は今、教員としてきのくににいるが、毎日あの頃と同じように笑っている。そしてあの頃、自分たちが学習していたことが、こんなにも緻密に計画されていることには驚きを隠せなかった。
子どもたちが体験学習から学ぶ一つひとつのことが本当の意味で生きる力に変わっていくために何が必要か。
きのくにの大人はそれを常に試行錯誤している。
そして、一人ひとりの成長と幸せのためなら、どれだけの時間も体力も惜しまない教員ばかりである。
子どもたちが自分でやり遂げたと思える達成感や自信を味わわせるために、どのような声をかけたり、見通しをもたせてあげればよいかが非常に重要であることを知った。

(略)
今の私にとってきのくには、仕事というより、毎日が学びの場であり、笑いの場である。

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