保護者(お子さん小4)インタビュー
Q. なぜこの学び場を選んだのですか?
もともと関東に住んでいて、息子が1年生になる前から、一般の学校よりも自由な学校がいいなと調べていました。
自分が子どもの頃に学校を楽しめていなかったので、自分の子を見ていても、一日何時間も椅子に座って学ぶ姿が想像できませんでした。
それよりも、個性を伸ばせるところがいいと思いました。
1年生になるタイミングで、震災をきっかけに移住を考え、トエックを知って徳島に引越しました。
自分の好きなことをやっているので、得意なことが伸びていくのを感じています。
息子は工作好で、それをずっとやれる環境なので、その技術がどんどん伸びています。
また、子どもへの関わり方や、「心」の部分を大事にしてくれるのもありがたいです。
そのためか、息子も自分の気持ちを自分で分かって、私にもしっかり伝えてくれます。
おかげで、私も子どものことを信じられる、大丈夫だと思えるようになりました。
親の会は、はじめは入っていきづらいと感じたこともありました。
輪になって自分の気持ちを話すというのが慣れなくて、できているつもりでも、できていなかったと思います。
最近やっと感覚が分かり、じわじわと色んな学びが得られるようになっています。
NPO法人自然スクールTOEC代表・伊勢さんインタビュー
Q. この学び場に込めている思い
大学1年生のとき、キャンプボランティアや自然体験の方が面白くなって、大学を辞めるために学生相談室に行きました。
そこで、恩師であるカウンセラーの先生に出会い、僕の話を丁寧に聞いてもらいました。
退学手続きのはずが、カウンセリングの学習グループに誘われて、「パーソン・センタード・アプローチ(※1)」を知りました。
その学習グループ自体が、教えてもらうのではなく、1人1人が自分の意欲や好奇心を起点に、自ら行動して皆で学びあうというやり方でした。
自分に問いかけをしながら、身をもって面白さを体験しました。
その後、野外教育の仕事をしたのち、85年に、フリーキャンプ(※2)とカウンセリングを柱にした「自然スクールTOEC」を始めました。
狙い通りの体験をさせるのではなく、意図を超える楽しさや学びがあるフリーキャンプをしてきました。
でも、やはりキャンプは非日常であって、人が育つ本丸は日常にあるとも感じました。
そんな頃、米国のオルタナティブスクール(※3)に行き、初めて「幼稚園や学校をつくる」という発想に気づきました。
つくるなら、親の支援を重視し、「いい親」を演じるのではなく、子育てを楽しめる場づくりをと考えました。
初めに幼児フリースクールをつくり、8年後に自由な学校の開校を決断しました。
「自由」といっても、目的は「自由にさせる」ことではなく、「自由になる」ことです。
文字や算数などどんなことでも、大人が教え込むことはしません。
一方で、おもちゃの持ち込みなど制限を設けることもあります。「アレがないと楽しくない」では、自由ではないと思うからです。
こうした一つ一つの各論は、親とのコミュニケーションがとても大切だと思い、夜などに定期的に話し合ってきました。
卒業生の成長ぶりが伝わるようになると、ようやく健やかなエネルギーが巡り始め、今は定員を超えるようになりました。
これからも、風通しがよく、オープンに話し合える学校づくりをしていきたいです。
(※1 カール・ロジャールが提唱した来談者中心のカウンセリング方法)
(※2 大人がプログラムを用意するのではなく、「今、やりたいこと」を子どもと共に相談して1日をデザインする自由なキャンプ)
(※3 プレイマウンテンプレイス[Play Mountain Place] ロサンゼルスにあるパーソン・センタード・アプローチを用いた学校・幼稚園)
スタッフ・ペーターさんインタビュー
Q. この学び場に込めている思い
大学のときレクレーションインストラクターのボランティアをやっていて、トエックのスタッフに誘われました。
小学校の先生になるつもりでしたが、まずは勉強しながらお世話になろうと、スタッフになりました。
それから、もう17年続けています。
はじめは、「自由=ゆるい・わがまま」というイメージでしたが、あるときミーティングで、僕自身のやりたいことを聞かれて、答えられませんでした。
その「不自由さ」に衝撃を受けて、これまで勉強してきたことが役に立たないことを感じました。
やりたいことを問われて、自分で動いていく中で、自分自身も育てられました。
普段心がけていることは、子どもたちの気持ちにいつもアンテナを張っておくことです。
やりたいことをやっていいといっても、退屈したり、やりたいことを言えなかったり、気持ちのやりとりで衝突する子もいます。
そんな、言葉でないところへもアンテナを張って、その子がやりたいことを感じて誘ってみたりしています。
一方で、退屈な時間も大事で、何かやっていればいいわけではありません。
「これをやろうよ」というのを出しすぎず、子どもが生き生きする場・コトにどうつなぐかということを、いつも考えています。